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言論・出版妨害事件 -経緯-

[事件の経緯]
1965年(昭和40年)
 ジャーナリストの梶山季之が女性雑誌に『小説・創価学会』を連載すると、梶山に抗議の投書が殺到する。雑誌編集長が嫌がらせを苦に失踪してしまい、連載が途中で打ち切られる。

1967年(昭和42年)
 大正大学教授の竹中信常(宗教学)が『創価学会』(労働法学出版)を出版する前の校正段階の時期に、創価学会渉外局長の山崎尚見からゲラを見せるように要求され、提出する。約1ヶ月後に山崎は「創価学会を正しく書いていない」として、「こちらが朱を入れて校正した通りに直して出版すれば、名誉毀損で訴えることはしない」と圧力を加える。これにより出版が2ヶ月遅れる。

10月1日
 公明党書記長で東京都議会議員(当時)の龍年光が、元創価学会会員、植村左内(ペンネーム)が「新日本宗教団体連合会」(新宗連)の機関紙『新宗教新聞』紙上に連載していた内部告発記事を単行本(『これが創価学会だ』しなの出版社)として出版することを知り、公明党の委員長(当時)で参議院議員の辻武寿と二人で自民党本部に出向き、自民党の組織委員長の辻寛一と面談する。辻寛一は「福田赳夫幹事長とも相談して、自民党員の誰がやっているかを調査し回答する」と述べる。

10月3日
 池田大作、竹入義勝の連名で『これが創価学会だ』に対する出版禁止仮処分を東京地方裁判所に申請する。

10月13日
東京地裁は「本もできていないのに、禁止はできない」として「仮処分申請には理由がない」として却下。池田大作、竹入義勝両名は『これが創価学会だ』が名誉毀損に当たるとして民事訴訟を提訴。『これが創価学会だ』が「新宗連」の機関紙上で連載されていたことから、同書の出版を仕掛けたとして「新宗連」理事長(当時)で 立正佼成会会長(当時)の庭野日敬を警視庁に告訴。警視庁は庭野に出頭を求める。
 立正佼成会が、出版された『これが創価学会だ』を約10万冊購入し、新宗連を初め、関係先へ配布。庭野は「社団法人宗教センター」理事長で日本大学会頭の古田重二良からの、立正佼成会が、自らの手で『これが創価学会だ』の本を破棄することで、創価学会と立正佼成会の『布教戦争』を一時停戦したらどうかとの提案を受け入れ、古田会頭の仲介で、北條浩副委員長と面談し、双方の間で示談が成立。『これが創価学会だ』のほとんどを回収し、日本大学の校庭で創価学会・公明党の立会いのもと、著者植村の所持したものを含めて10万5千38冊が廃棄される。
 「しなの出版」は古田会頭を介して、著者、植村左内に無断で同書の印刷紙型や未製本分を含むすべてを創価学会、公明党に引き渡し、同書の出版権を放棄する。
1968年(昭和43年)
1月
 脅迫電話が頻繁にかかっていた植村左内は、古田会頭の要求で、「今後、創価学会の批判本は書かない」という誓約書を書く。『これが創価学会だ』が無償で廃棄されたこと、植村左内が創価学会の批判本は書かないと一筆を書いたことを理由に池田、竹入は植村に対する訴訟を取り下げる。後に植村は別の出版社から『これが創価学会だ』を出版する。

2月
 西日本新聞東京支社の論説委員の隈部大蔵が「隅田洋」のペンネームで『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』(東北出版)の出版を計画する。普通の印刷をすれば創価学会側に知られるので、個人宅で写真植字を行ない、北九州市の「日進印刷」で印刷に入る段階で創価学会側に知られ、版元を選挙区とする文部大臣から出版中止を要求されるなど、様々な圧力が加えられる。出版元の社長が古田会頭の強硬な要請に屈し、出版前に本の内容を見せる。社長は出版社に正体不明の者から、「暴力団を向けるぞ」と脅迫され、暴力団風の男が身辺につきまとうようになるなど、周囲からの圧力でノイローゼ状態に陥った[7]ことなどから初版は出版されず絶版となる。後に出版社も印刷所も倒産した(この本の出版契約書には市販できない場合についての異例の記載があった)。

9月11日
 隈部大蔵は連日面会を求められていた公明党副委員長(当時)の北條浩と東京赤坂のプリンスホテルで面会。北條は、ペンネーム隅田洋が隈部であることを突き止めたこと、第2の出版を用意していることを調査で突きとめたこと、創価学会への批判はゆるさないこと、などを述べた。
 隈部は身辺や家族への危害、会社での地位の変化などを恐れ、出版社との最終的な契約もできなかったこともあり、密かに進めていた『現代のさまよえる魂――釈尊と邪教の対話』の出版を断念。

1969年(昭和44年)
1月
 東京都庁担当の毎日新聞記者の内藤国夫が「三一書房」からの執筆依頼を引き受け、『公明党の素顔』の執筆を始める。
東京都庁や毎日新聞社からも異議を唱えられる。当時の毎日新聞の社会部長も原稿を読み、内容に異を唱える。内藤は意を汲んで書き直したが、「三一書房」は出版を見合わせてしまう。社内の承認を得て、創業して間もない「エール出版社」を出版元に選び、極秘裏に出版準備を進めるが、印刷工程でゲラが創価学会側に渡る。

3月
 内藤が竹入委員長に呼び出され、30数箇所の書き換えや削除を要求される。
『公明党の素顔』の小さい広告が『毎日新聞』などに掲載されると、新聞社の編集の首脳部が、北條浩 公明党副委員長(当時)から「あれだけお願いしたにもかかわらず、内藤の出版を押え切れなかったばかりか、こうやって広告を載せるとはわが党に敵対するつもりなのか」などと電話で抗議を受ける。
 日本船舶振興会会長で、「国際勝共連合」名誉会長の笹川良一が「公明党に前に一度恩を受けている」、「本を全部買い取りたい」と買収を持ちかける。

5月
 「エール出版社」に創価学会・公明党の幹部らが働きかけるが、『公明党の素顔』は出版される。
 取次店から委託の扱いを拒否され、広告掲載も断られるようになり、小売店に宣伝して注文をとるという方法で、僅かな部数だけが出版される。
 「エール出版社」が事務所の追い立てを食らう。

8月
 民社党の塚本三郎が自身の著作『公明党を折伏しよう』(名南経済振興会)の原稿を名古屋市の印刷会社に手渡すが、工場内に創価学会員が3名ほどいたことから、内容が漏れ、数日後、公明党の責任者から民社党の責任者に出版を中止するよう要請がなされる。取り扱いを依頼したある出版社は、創価学会の批判書を扱うと、今まで年間数千万円の利益を得ている創価学会系の書籍を扱えなくなるとして取り扱いを断る。

<『創価学会を斬る』の出版>
8月末
 藤原弘達の著作『創価学会を斬る』の出版予告が電車内の中吊り広告に掲載された直後から、出版元の「日新報道」社に抗議や脅迫の電話や手紙等が多数寄せられる。藤原弘達への手紙や電話等による嫌がらせや脅迫が始まる。
 藤原は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として出版に向け執筆を続ける。

8月31日
 公明党の中央幹部会員である藤原行正 東京都議が、藤原弘達の自宅を訪ね、出版の取りやめ等の要請(「出版の中止」、「題名の変更」、「出版時期の延期」、「池田大作会長に言及しない」)をするが、藤原弘達は憲法が保障している言論・出版の自由に反する圧力だと拒否。

9月4日
 藤原行正が、出版元の「日新報道」関係者をヒルトン・ホテル(後のキャピトル東急ホテル)に呼び出し、藤原弘達に行ったのと同様な要請をするが、「日新報道」側は全面的に拒否。

9月14日
 藤原行正が「聖教新聞社」主幹(当時)の秋谷栄之助と共に藤原弘達の自宅を訪ね、出版の中止を申し入れるが、拒否される。藤原弘達はこの時の会話をテープに録音。
 秋隈部大蔵が東京都内で、公明党や創価学会員がいないと思われる業者を探し歩き、家内工業のような、2、3人でやっている店に頼み、『創価学会・公明党の解明』(展望社)をペンネーム“福島泰照”名義で出版するが、これも取り次ぎ店で扱いを拒否される。

9月19日
 藤原行正が再び日新報道側を、ホテルオークラに呼び、出版前に原稿を見せるよう要求する。また、出版しなければ、より有利な仕事を提供するなどと利益誘導もしたが、拒否される。

10月4日
 自民党の田中角栄幹事長が、藤原弘達に電話をし、公明党竹入委員長からの依頼だとして出版中止の要請をする。

10月15日
 藤原弘達は田中角栄から赤坂の料亭に呼ばれ、様々な甘言で働きかけられるが、拒否する。池田大作と竹入義勝がこの交渉を隣の部屋で聴いていたのを目撃した仲居の証言が後に『産経新聞』で報じられる(『産経新聞』の政治部記者(当時)の俵孝太郎のスクープ)。

10月23日
 藤原弘達は料亭で再び田中角栄と面談。藤原は初版10万部だけ出すが裏取引は一切しないと宣言。田中は藤原を説得できず、「これ以上、交渉はしない」とあきらめる。
 藤原弘達は、本の推薦文を以前から度々引き受けてくれていた評論家仲間の大宅壮一に頼み、快諾されるが、翌日になり、「こんな本の推薦はできん」と断わられる。

10月末
 『創価学会を斬る』が予定を早めて出版される。
 全国の書店、取次店に同書が市場に出回らないよう様々な働きかけがなされる。田中との交渉中には止んでいた藤原弘達への嫌がらせや脅迫が再開する。
 自身や家族の身の危険を感じ、警察に相談し、自宅の電話を録音するようにしてもらう。「日新報道」関係者も尾行されるようになる。
大手取次店のほとんどが、『創価学会を斬る』の新刊委託扱いを断わってきたため、社員たちは本を持参し、全国の書店に置いてもらうよう交渉して回る。新聞広告なども断られたため、2台の宣伝力―で、藤原の声による広告を流しながら都内を回る。

11月
 隈部大蔵が出版を妨害された過去の2冊の弔いの書として、第3弾の『創価学会・公明党の解明』を極秘に印刷して、完成するが、翌1970年の3月上旬まで新刊委託扱いはされなかった。

11月4日
 藤原弘達の『創価学会を斬る』を印刷していた印刷所に出版元の皆川編集長の名前を騙った男が現れ、同本の98ページ(池田大作に関する批判が書かれていた)の刷りが悪いとして刷り直しを命じるという事件が起こる。

11月18日
 佐藤栄作総理が藤原弘達に対し、秘書官の電話を通じて「よくぞ勇気ある本を出された。夫人ともどもに読んで大変に感動した。これからも頑張ってください」というメッセージを届ける。(『文藝春秋』1970年3月号での藤原弘達談、佐藤首相は国会でその事実を否定)。

11月19日
 『創価学会を斬る』の推薦文を引き受けた評論家の小汀利得が自身の番組、TBSの『時事放談』で、藤原が圧力に屈せず、出版したことに対し、「思い切ったことをやってくれた」と賞賛したことから本に対する反響が大きくなる。

<事件が公になる>
12月13日
 NHKの選挙特集『日本の進路』という公明党と共産党の討論番組で、日本共産党(政治・外交政策委員会副委員長)の松本善明議員が、創価学会、公明党が『創価学会を斬る』や『公明党の素顔』などの出版を妨害したと告発したが、公明党の正木良明(当時大阪5区から立候補)は「すべてウソです」と全面否定。

12月17日
 公明党の否定に憤慨した藤原弘達が、著書では名前を伏せていた介入を受けた大物政治家は田中幹事長であることを日本共産党の機関紙『赤旗』(「公明党 言論・出版に悪質な圧力 田中(自民)幹事長を仲介に」)紙上で暴露する。

12月19日
 『赤旗』が「広告・書店に次つぎ脅迫、日新報道・皆川編集長が語る怪事実」と題する記事を掲載。

12月23日
 ロシア文学者の草鹿外吉が代表世話人を務める「言論・出版の自由に関する懇談会」が「憲法第21条で保障されている『言論、出版その他一切の表現の自由』を侵す行為を断じて許すことができません」との声明を発表。年末年始には333名の文化人・知識人が参加する。その後「言論・出版の自由に関するシンポジウム」を開催。公明党に公開質問状を提出する。

12月27日
 「第32回衆議院議員総選挙」で、公明党は解散時の25議席から22議席増の47議席を獲得し、野党第2党に躍進する。

1970年(昭和45年)
1月2日
 池田大作が創価学会に副会長制を設けることや公明党との関係を明確にすることなどを提言。

1月5日
 公明党の竹入委員長との矢野絢也 書記長(当時)が記者会見。竹入は「私と矢野書記長を含めて、出版会社に出版のとりやめを依頼した覚えはない」、「自民党の実力者を通じて出版を取り止めるよう依頼した事実はない」と述べ、矢野は「事実無根とし言いようがない。それを一方的に事実というのなら、立証責任は向うにある」などと出版妨害の事実を全面否定した。

 創価学会に副会長制を導入し、北条浩・秋谷栄之助・森田一哉の3名が就任し、竹入・矢野両名は学会の役職(総務)を辞任。

1月6日
 竹入委員長が、『毎日新聞』で「出版妨害や自身が自民党の実力者に依頼した事実はない」とし、「藤原を告訴するつもりは当面ない」旨を述べる。同日付けの『毎日新聞』で自民党の田中角栄幹事長も「藤原と話し合いはしたが、公明党から頼まれた事実はない」旨を述べる。

1月11日
 公明党国対委員長(当時)の渡部一郎が、創価学会の学生部幹部会において、言論出版妨事件を「馬鹿馬鹿しい話し」と否定。TBSの対談番組『時事放談』で、政治評論家の細川隆元が「公明党はナチスに通ずる」と批判。細川と小汀利得の対談に池田大作を迎える特別企画が組まれるが、池田は、体調不良で多忙という理由で欠席。

1月16日
 矢野書記長が記者会見で、妨害の事実は否定しながらも、内藤国夫の『公明党の素顔』の出版前にゲラ刷りを入手した事実を認め、物議を醸す。

<新聞での批判が始まる>
1月18日
 『毎日新聞』が社説で、「野党第2党に躍進した公明党の責任は重い」とし、「批判は封殺するというような態度はとるべきではない」と批判する。

1月22日
 「言論出版の自由に関する懇談会」の記者会見において、渡部国対委員長の講演の全文が発表され、翌日の『赤旗』紙に掲載される。問題を追及する野党を「薄ら馬鹿ども」などと罵る暴言を吐いたことが批判を招く。

1月27日
 渡部国対委員長が「学生部幹部会での講演内容に穏当を欠くところがあった」として国対委員長を引責辞任する。

2月3日
 『朝日新聞』が「公明党は徹底的に体質を改めよ」と題する社説を掲載。

2月4日
 『読売新聞』が「公明党の抜本的体質改善を」との社説。

2月5日
 『毎日新聞』が「公明党の体質改善に望む」との社説。

<国会で取り上げられる>
2月18日
 国会で日本共産党の米原昶議員が、佐藤栄作首相にこの問題を国会の場で真相解明する用意があるかと質問。佐藤総理は政府が言論や出版が抑圧されないよう配慮すべきとだけ述べ、真相解明に関する答弁は避ける。

2月22日
 民社党の塚本三郎が同月28日、国会で発言することが決まると、「1週間以内に立ちのかないと火をつけるぞ」などの脅迫電話がかかる。その後も事務所や自宅に「ばかやろう、殺してやる」などの脅迫の電話がかかる。塚本の家族は身の安全のために、自宅を出て、避難する。

2月23日
 衆議院予算委員会で、日本社会党の赤松勇が藤原弘達、内藤国夫、「しなの出版」(『これが創価学会だ』の最初の出版元)の社長を証人喚問することを要求。

2月25日
 予算委員会で、民社党の麻生良方が特別調査委員会に、取り次ぎの代表として「日本出版取次協会」の代表、出版社の代表として「日新報道」出版部の代表、潮出版社の代表、著者で藤原弘達の4人を参考人として招致することを提案。

2月26日
 『読売新聞』が「議員“脅迫”問題を究明せよ」との社説。

2月28日
 民社党の塚本三郎が衆院予算委員会で池田大作の証人喚問を要求[9]。

<出版業界が声明を出す>
3月
 「日本出版物小売業組合全国連合会」が「創価学会(公明党)の圧力は、われわれ業界人として黙視することのできない重大問題である」、「言論・出版・表現の自由に対する圧迫というだけでなく、出版物の流通過程にまで干渉することによって出版文化の一翼をになうわれわれ販売業者の自由をまで阻害せんとしたものである。」、「真相を糾明し、弾圧に反対するとともに、出版販売ならびに営業の自由を擁護するという書店人としての態度を闡明しなければならない」との声明文を発表。
 大手出版社のほとんどが加盟している「日本書籍出版協会」が「(出版妨害の)核心をなす事実はもはや覆い難いまでになっている」との声明を発表。
 「出版労協」、「新聞労連」とか「マスコミ共闘」などの出版報道関係の労働者団体も、事件について声明を発表。

 民社党の春日一幸委員長、宗教団体の政治進出に対しての規制を求める質問(『宗教団体の政治的中立性の確保等に関する質問』)を内閣・自民党に提出。これに佐藤内閣は法的規制に不賛成である旨の回答をする。

3月13日
 『週刊朝日』(昭和45年3月20日号)が、藤原弘達が秋谷栄之助らとの対話を録音したテープの内容を掲載。

3月14日
 『朝日新聞』が「出版妨害問題の究明を要求する」との社説。

3月16日
 『毎日新聞』が「“言論・出版の自由”究明を」との社説。

<関係者を集めた有志議員の集会>
3月17日
 証人、参考人の招致が結論が出ない中、社会党、民社党、共産党の有志議員による、「言論出版妨害真相究明の議員集会」が行なわれ、藤原弘達、内藤国夫、「日新報道」の綿抜社長、皆川編集長、植村左内、隈部大蔵、エール出版の関係者ら計8人の参考人の意見陳述が行なわれる。公明党の浅井美幸国対委員長が「今日の集会―は出席者が言いたい放題を言う一方的な集会に終始し、全く価値がなく、批判に値しない」との談話を新聞で発表。

3月19日
 『読売新聞』が「出版妨害問題の真相究明を」との社説。

3月20日
 赤松勇、麻生良方、不破哲三、塚本三郎から真相究明のためになされていた、証人の喚問要求、参考人の出頭要求、調査特別委員会の設置要求が自民党・公明党の反対で「議院運営委員会」の理事会で合意されず却下される。

4月8日
 日本共産党の谷口善太郎議員が、「宗教団体の政治活動に関する質問主意書」を国会に提出。創価学会の宗教的施設を国立として建てるという「国立戒壇」という教義が憲法第20条3項および憲法第89条に違反しているかどうかを質問。

4月15日
 赤松勇議員が民社党・日本社会党・共産党からの動議として、関係者の一人として、池田大作創価学会会長を証人喚問するよう要請する。

4月28日
 創価学会が「宗教団体の政治活動に関する質問主意書」に対する答弁書を提出。「本門戒壇(国立戒壇)とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、信者の総意と供養によって建てられるべきもの」、「現在、建設中の正本堂が、本門戒壇であり、建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって、国家権力とは無関係である」という旨を述べる。

<池田会長の公式謝罪>
5月3日
 日本大学講堂(旧両国国技館)に報道関係者、文化人を多数招いて行なわれた創価学会第33回本部総会において池田大作は「言論妨害という意図はなかった」と弁明しつつも「結果として言論妨害と受け取られ、関係者の方々に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」と謝罪。「国立戒壇」の教義を撤回、創価学会と公明党の政教分離などを公約する。

5月4日
 『聖教新聞』が「学会と公明党の関係、明確に分離の方向」との記事を掲載。

5月
「出版妨害問題真相究明議員集会」の模様をまとめた『私は証言する』(日新報道)が出版される。

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このブログについて
そろそろ創価学会を辞めようと思うが、その前に創価とは何だったのかを、もう一度見直しておきたいなと。
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